横浜で軽度な知的障害者の支援をしているNPO法人PWL、ひとみ先生のblogです
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D-Factory リニューアルオープン
2012年05月12日 (土) | 編集 |
4月1日 復興支援の物販をするお店がオープンしました。
そして5月10日お店の奥に昼間はランチの出るカフェ。そして夜は居酒屋がオープンしました。

10日は早速 ひなりの社長さんとPWLのひなりメンバーの上司の須賀さんそして中島さんがいらしてくれました。
中島さんが大川君に電話をしたら、続々とひなりのメンバーが居酒屋に集まってきました。
それに加えPWLスタッフが参加し、貸し切り状態で盛り上がりました。

さらに御近所の方がたまたま通りがかりカウンターに。緑が丘高校出身のお客さまでした。そこに緑が丘高校のPWLスタッフが加わり、お店の前に住んでいらっしゃるおじい様が緑が丘の出身ということでプチ同窓会になっていました。
11日は、お店がどうやら気になって仕方がない就労センター長の明吉さんががお手伝いに現れ、昼間の担当の高見さんが一度家に戻ってから8時時ごろ再登場。
さらに、大里に住んでいる武田くんと竹さんが「のみにきました〜と」わざわざバスでやってきました。

この日はいつも箕輪家で食事を一緒にしている由美子さんのお誕生会を急きょ企画し、えみちゃん川野君(なんと本牧から歩いて来たとか)せいこちゃんそして俊さん私の6人でプチ誕生会をやりました。

そこに、これまたお近くの方が立ち寄ってくれました。母娘のお二人でした。
店長の市川さんが何やら理事長の…と会話・・・。何だろうと思っていたら、伊藤正道君の作品を飾ってあるコーナーを見て、伊藤正道君のことを聞いていたのでした。
伊籐正道君が理事長の同級生という話をしてたのでした。

その方は伊藤君の知り合いではなくファンでバッグも愛用していて、何回もアトリエに行っていたとのことでした。
亡くなられたことを聞き、ショックを受け涙しておられました。

と話していたところ、20年前に何度か小児科の先生を通してお話ししたことのある方だったことにたがいに気付き
またびっくり。
これからもよろしくとお話ししました。山手駅のそばの保育園の園長さんでした。

たった2日オープンしただけで、こんな出会いが始まったことにたくさんの意味ある場所になることを確信しました。

このお店を通して何が始まるのか楽しみです。


山手駅から徒歩5分の立地。帰りは電車で帰れます。

皆様のご来店をお待ちしています。





伊藤正道君の法要
2012年04月03日 (火) | 編集 |
何とも悲しくて悔しくて・・・

12月24日最愛のお母様を亡くされ、深い悲しみの中でやらなければならないことをやっていたとのことでした。
小野寺さん、金山さん、俊さん、私の4人で、11月15日恵比寿で行われた彼の個展に行き、PWL就労センターに飾ってあるおむすびの絵を購入してきました。そして、伊藤君と恩師の真鍋先生とひとしきりお話しをして写真も撮って、楽しいひと時を過ごしました。12月5日その絵を使って、私たちのサンドウィッチやおむすびの絵をパッケージに入れること等の打ち合わせのため彼のアトリエに加藤さんと行きました。「どんどんやっていこうよ。ジオ爺さんとマフィー君でやっていこう」と言ってくれました。そして、個展が終了して、絵を取りにみきえと加藤さんでアトリエに行ってもらいました。
そして、24日のPWLのイヤーエンドパーティに絵を飾るので、伊藤君にも是非来てもらえたらと話したところ、ちょっとでも行きたいけれど、お母さまの看病で夜は明けるのが難しいと話がありました。

そして、その日12月24日お母様がお亡くなりになり、お通夜と告別式に行かせていただきました。
告別式でお母様のお話しを30分ぐらいお話しをしていました。お母様の深い愛情に支えられてきたことが伝わってきました。
そして、2月12日アトリエ発送の宅急便が送られてきました。額と書かれていたので、11月に購入した絵の額を別のものにするのかと思い、すぐには開けませんでした。数日後開けてみたら彼の絵がそこにはありました。そしてお手紙で 箕輪一美様 勝手ながら送らせてもらいました。よろしくお願いします。と書かれていました。

ジオ爺さんが胸を張って歩いていてその後ろをマフィー君が歩いている絵でした。その後ろには長ーい道がずっと続いています。スウェーデンの山の間に続く道です。

そして、その数日後、伊藤君の訃報が流れてきました。なんで?うそでしょ?と何度も言いました。
でも残念ながらホントのこと。と友人からのメール。

あの絵を送ってくれてから5日後になくなったと言うのです。

受け止めなければならない。でも受け止めたくない。そんな思いです。

納骨にあたり、4月1日77日忌法要が行われました。

横浜国大附属小学校の同級生たち、そして栄光学園の同級生たち。であふれていました。そして一人一人のコメントが本当に伊藤君の人柄を感じさせるものでした。

PWLがドキュメント番組に取り上げられた時のディレクターが事務所に来た時、伊藤君の絵が目にとまりました。「どうして伊藤正道の絵がここにあるんですか?」といわれ伊藤君は私の小学校の時の同級生だと伝えると、
「奇遇ですね。正道のお姉さんが自分の妻の親友なんです。」といわれ、安心感を持って取材を受けたことがありました。
そして、4月1日、水野ディレクターの奥様にお会いできました。水野さんは、正道のおかげで取材がちゃんとできたと言っていたと奥様から聞きました。正道がPWLを引き合わせてくれたんだと言っていたそうです。

是非またお会いしたいとお伝えしました。

そしてお姉さまと今後連絡を取り伊藤君とやっていく予定だったことを進めていきたいと思っています。


心から心からご冥福をお祈りいたします。


お墓参り
2012年03月20日 (火) | 編集 |
本日、お彼岸。お墓参りに母と主人と3人で行ってきました。
平成4年、まさにPWLを立ち上げた年。4月14日同僚だった梶中先生がなくなりました。31歳の若さでした。1歳になったばかりの男の子と奥様のお腹には赤ちゃんがいました。サッカーが大好きで、私が教員を退職した時、出来るだけのお手伝いをしますと年賀状が来たばかりでした。そして5月10日、私の名前を考えてくれた祖父がなくなりました。続いて9月22日祖母が追うようにして亡くなりました。なんでこんなことが起きるのか、私が教員を辞め第2の人生を歩もうとしていく年に。自分にとって大事な人たちが他界したのでした。
そして平成19年、同愛会を退職し、NPO法人が独立して、私にとっては第3の人生を歩んでいこうとした時、5月19日尊敬する父が他界しました。続いて8月4日私たちの結婚記念日に兄が他界しました。
私にとって大きな節目に、大事な人がなくなっていきました。私の人生を、迷わず前進しなさいと言っているかのように、「泣いている間はないよ。前に進め」と聞こえてきました。
そして振り返らず強く現実に向かってきた20年そして5年でした。
母は、お墓参りに行き、待っていたでしょ。来たからね。と話しかけ。お線香をあげ、お水をあげお花を飾り、
お供え物を置きました。まずは父と兄の眠る山のふもとにあるお墓をお参りしました。そして、山のてっぺんに祖父母と母の兄たちが眠るおお墓まで登って行きました。母は、命ある限りきっとこの山を登ってお参りをするのだろうと、危なっかしい足取りの母の背中を見ながら、転ばないように見守り一緒に登りました。そして「待っててくれたんだね。来たよ。おじいちゃんは『ひとみ・ひとみ』っていつも言ってたね。一美が来てくれたよ。」とお墓に向かって話しかけながら、お水をあげお線香をあげ、お花を飾り、お供え物をあげました。
そして、ゆっくり、足元の悪い歩きにくい階段をゆっくりゆっくり下りて帰ってきました。
帰りの車の中では「あー良かった。ありがとね。」と繰り返していました。

父がなくなって納骨の日7月1日でした。白血病の兄は自分の余命を察知していました。ひょこんと墓石の脇に座り、「今度は僕が入る番だ」とさびしそうにつぶやいていた兄の姿が見えるようでした。
兄はそのまま病院に行き家に戻ることはありませんでした。
父と兄そして祖父と祖母、同じ墓地で二つのお墓を行き来でもしているんじゃないかな等と思いながら、様々な思い出がよみがえりました。

人一倍人のことばかり考えている母にはとにかく長生きしてもらいたい。そんな思いでお墓を後にしました。

人には、こんな風に人生を振り返る場所があるのだと思いました。そしてこういう時をこれからも大事にしていきたいと思いました。


スキー実習大成功
2012年03月20日 (火) | 編集 |
自立訓練のメンバーたちに初の試みでしたが、スキーを体験する取り組みをしました。
スキーは自立を形にしていくスポーツだと私は以前から話してきました。

最初は、靴も一人でははけません。そして板の上にのることもできません。板と靴をビンディングで止める。
そして外す。歩く。かにあるきで山に登り、汗びっしょりになってやっと登った山をあっとい間に滑る。最初は怖くてすぐ転びます。でも転ぶと起きるのが大変なことを知ると、何とか転ばないように頑張ります。
最初はスキーをそろえて滑ります。そのうちに八の字に滑ることでスピードが遅くなり怖さがなくなることを覚えます。そして八の字を力いっぱい内側に食い込ませると止まることを覚えます。
ここまでくればリフトに乗っても大丈夫。リフトに乗れば、一生懸命坂をかにあるきで登っていた辛さから解放されます。長い距離を滑る楽しさを覚えてきます。まだお手伝いが必要で見守りながら何度か滑ります。
今度は、八の時のまま左右と曲がれるようになります。そしてリフトも一人で乗れるようになります。
自分一人では何もできなかったスキーですが、最後はリフトに乗って一人で滑り降りてくることができるようになるのです。
文字通り、自立することを肌で感じる瞬間を味わえるのがスキーというスポーツなのです。

しっかりビデオに収めてあります。達成感いっぱいのメンバーたちに乾杯!

神田うのさんありがとうございました
2012年03月04日 (日) | 編集 |
3月2日、神田うのさんのブログに今度は「PWLさん 心のこもった贈り物」の名前入りのコメントです。

問い合わせもあり、健育祭ではブログを貼りだしたら、たくさんの方々が注文をしたら嬉しい悲鳴があるのではないかというおもいでした。皆さん、はり出されたブログのページを見いってくださり、ホワイトデーの商品を買ってくださいました。

とにかく大盛況のうちにこの日が終わりました。

神田うのさんに心から感謝いたします。
そして神田うのさんのお母様にも心から感謝いたします。